CherryPediaN07. ミツヒロという男   (きよし談)

ミツヒロという男   (きよし談)  『マラソン出る?』春のシーズンを迎えるとこれが俺とミツ二人の口癖になる。

カンとオボのふたりは見向きもしないのだが、みつひろだけは口車に乗ってくれた。

今やTCBを代表するマラソン選手。当日は乳首にパッチを貼る。擦れて感じでしまうそうだ。敏感な男!周りの参加者は柔軟体操やスタート前のアップをしている。しかし、彼は走る前の大事なことは一切しない。疲れるから。省エネな男。しかし、スタートしたら足は止まらない。42.195km一定のぺースでモノマネしながら走り続ける!ひょうきんな男!ステージで動いてないベース弾きが走れるのか!とお思いでしょうが!

空気を読み、器用で、バランス感覚に優れ、カンとオボの意思通訳をしている3児の父であるこの男。今は好青年風だが実は悪ガキ出身なのだ。

二戸村松出身。大村野球少年団という当時は五日町バッファローズと肩を並べる強豪チームのキャッチャー。カンフーごっこの親分で、その後もマセガキとして6年生まで活躍する。よく女の子を泣かせていた。おそらく先生に呼ばれた回数だけは学年で一番である。中学に入りカンと同じ組となりなんやかんや暴れているうちに、その悪ガキ度はベクトルを変え、2年には流行を先取りするお茶目ボーイに変わっていた。組み替えがあり、カンと違う組みになったのだが、オボと一緒になり、違う組みなのにも関わらず、3組と4組の前の廊下で3年までカンと3人でよくつるむようになる。そしてミツはある日、ある事を先取りする事となる。それは''HipHop''。スチャダラパー全盛期?''DAYONE''なんかがJ-POPを賑わせるようになった1990年代。それと同時に替え歌がはやる。二戸は''NDABE''。はっきり言って言いにくい。そしてミツはそれらを誰よりも早く読み取り同時に言い放った!''おれ達でも作れるんじゃねえか''この一言が3人の人生を、腐れ縁へと誘い始めるのである。俗に言う''3dl結成``である。5-6曲のデモテープを作り100円で販売。なんと100本近く売れたのだ。いい気になってそれからも事あるごとにカンの部屋で(2階に夜中でも忍び込める第二の玄関がある)RAPを作り、成績が下がり進学もヒヤヒヤだった。進学と同時に解散するのだが高校に入り腐れ縁はさらに根深く腐っていくのであった(TCB結成で)。

つまり僕らの始まりは、彼の人生における無茶ぶりから始まったと言っても過言ではない。

まったく人生騒がせな男である。