CherryPedia No.12 CheeryBoys結成秘話偏

CherryPedia No.12

CheeryBoys結成偏

高校1年生の春?我々は結成された。その頃はというと、3人とも違う高校でバスケ部に所属し(カンは夏から剣道部へ転向)飽きるほどの基礎練習をしていた。もう飽き飽き飽き飽きしていたところ、オボから一本の電話が、、、それは人生を良くも悪くも怪しくさせた悪魔の電話なのであった。オボ「バンドやらね??カンはドラムね(直感で)」 カン「他は?」 オボ「俺はボーカルギター(昔は歌ウマとされていた)、ミツはキーボード(家にピアノがあるから)」 カン「他は??足りなくない??」 オボ「マッカがギター、トータがベース」 ????カン「誰それ??」。。。。。。。。。。。。そう、TCBは当初5人編成なのであった。オボが尾崎豊やスピッツをフォークギターでコピーをしていたところに、ミツが乗っかり、マッカもトータも福岡高校でミツと同じバスケ部所属なので意気投合したのだろう。カンは盛岡で一人暮らしであったが、まあ面白そうと何も考えず二つ返事をした。それ以降、練習で帰省しないとダメな度に、お金がない時は盛岡から二戸まで自転車で往復する事となる(一度歩いて帰ってき事があるが、二度とやらないと後悔しているらしい)。

マッカ、それはイケメンおとぼけBOY。背は小さいが、整った顔立ちとトリッキーなドリブルをする色黒BOY。きっと、黄色い声援を受けていたのだろうと思う。基本的に理解しているかとぼけているか分からない。

トータ、それはピノキオひょうきんBOY。時折、的を得たことを言うが、基本へなへなした面白鼻高BOY。やさしいし、いじりやすい。クラスでも人気者であったであろう。よくカンからいじめられて、逃げてとじゃれ合っていた(ケツをよく蹴られていた)。

その年は、野茂が大リーグで大活躍し新人賞をとった。ドリカムのLOVELOVELOVEや浜ちゃんの歌(時には起こせよMovement??)が流行っており、バンドブームは下り坂に入っていた。ポケベルやPHSを高校生が持ち出したのもこのころである。一方、地下鉄サリン事件や、神戸淡路大震災が起こった厄災の年でもあった。二戸といえば新幹線の区画整理が進み始めていたが、まだ線路沿いにスタジオがあった(だから線路を渡って近道ができた、今は無理@良い子はマネしないように)。そんな時代、休日の二戸スポセン前で昼下がりの午後、彼らは初めて出会い、その場で結成となった。

そんな二人も、夏を越え(岩手3/4周ママチャリ旅)、秋を越え(初ライブは単独ライブ)冬を越え(スタジオにオジサン殴り込み事件)春には。。。。二人ともいなくなっていた。なぜ?????。小学から一緒で、中学では3㎗(過去ログ参照)を結成し、長年つるんだ3人の経験や思考やテンションについていけなかったのだ。

その後、3人編成から基本的に崩れることはなく現在まで続いている。(一時期 山ちゃんBa加入も1度きり)(バンド編成は人が多ければ多いほど解散する回数や確率に統計上有意差をもって高いことが分かっている。)僕らは実は音楽をするために集まっているのではない。面白いことを3人で面白おかしくやりたい集団なのだ。音楽は手段であって目的ではない。たから他のバンドとちょっと目的がちがうかも。きっとこの編成が、崩れるのは誰かが死んだときだろう。それまでは、家族や自分や町のために、面白い事を次々とやっていきたいと思っている。今年もお世話になりました。今後ともよろしくお願いします。