Cherrdedia No.8 我々の秘密基地


Cherrdedia No.8     我々の秘密基地

秘密基地。それは男の夢とロマン。誰も知らない、自分達だけのちょっとドキドキする場所。幼い頃、友達と何度も作っては消えた気がする。松の丸公園の藪や木々の合間。全酪の近くの使われていない小さな小屋や大崩崖の峰の影。家の屋根裏や使われてない教室。学校の部室や倉庫。すべてにロマンが一杯だ。我々TCBの秘密基地、それはスタジオに他ならない。

中学時代我々3人の秘密基地はカンの家の屋根裏部屋であった。そこの2階には秘密の玄関があり、友人は何時でも自由に出はいりできた。オボが冬に落ちたのはこの玄関(その話はまた今度)。そこではTCB前身の3㎗の収録が休日や夜中に集まり、始まるのだ。財力はなく、天井は低く立てないので、板間にあぐらをかいてやっていた。暖房もなければ、薄電球1つだった。すべては此処から始まったのだ。

1995年。進学しそれぞれ違う地区の違う高校に入ってしまったので、休日の夜から練習が始まる。二戸に音楽スタジオもないし、相変わらずお金もないので、スタジオは旧オボ宅の納屋に移っていた。入口は2階にある。オボ家の玄関からこっそり侵入⇒2階のオボ部屋へ⇒屋根へ出る⇒屋根から納屋の屋根へ飛び移る⇒秘密基地到着。冬も同じ経路なもんで、何回か落ちそうになった。そのころには、そこら辺のソファーやテーブルを搬入し、それなりの部屋となっていた。音はダダ漏れで「うるせー」と角材で壁をたたきに来た人もいた。あれは焦ったね。時々オボの親父さんがラーメン作ってくれた。美味かった!このスタジオ。新幹線の区画整理で今や無い。

 高校2年生には引っ越しし、九戸城後(現九戸城公園)にあったカンの祖祖母の納屋にスタジオは移った。音はダダ漏れだが、周りには木々しかなく真っ暗。だから夜は満点の星空が見える。ただ近くの母屋に、叔父が週末のみ帰ってくるのが難点。ある日の休日、僕らは納屋の屋根に、そこら辺になげている板をかき集め小さな3人ほど寝ころべるバルコニーを作った。ブルーハーツを全開でかけながら、満天の星空の下、屋根を飛び跳ねたのを覚えている。あれは興奮も解放感もあった。だけど、勝手にバルコニーを作ったのが叔父にばれて怒られ、翌週には解体する羽目になってしまった。期限付きバルコニー。その秘密基地も公園区画整理で今はない。

 高校3年生には、とある地下室にスタジオは移っていた。倉庫で雑誌やら、いらなくなったストーブやら、卓球台やらが沢山ある。一から片づけ、楽器を置けるスペースを作った。休日はここで寝泊まりするのだが、冬の二戸の夜は寒い。ストーブと炭を炊き練習する。ちょっとした知識で、練炭は一酸化炭素中毒を誘発することは知っていた。だから寝るのも気が気ではないので、その家のボイラー室に目をつけ、そこで寝袋に入り寝ていた。すると、ある夜、突然、「ジリりりりりり!」何かが鳴った!!家事!!?カンは飛び起き隣のスタジオを確認。ミツは飛び起きボイラー室を確認。オボは。。。。。寝続けた。結局、ミツの新聞配達の目覚ましが鳴った、というオチ。そのあと配達を手伝ったなぁ。こんな僕ら、高校の出席率はギリギリで間違いない。みんな、まず優等生では無かった。あの手この手でなんとか生き延びた我らも、今はみんな手に職を持っている。しかし趣味に家庭に手が足りないのが現状だ。

このスタジオは、僕らの後に弟や従弟たちも、秘密基地として使ったようだ。そして再結成し、15年経っても我々の現秘密基地である。今や、夢やロマンだけでなく、挫折も後悔も沢山詰まっている。

そんな20年後の2015年、現在の悩みは、音がダダ漏れていないかという事である。つまり、我々はあまり高校時代から成長してないのだろう。