Cheerypedia No13 初ライブはワンマンライブ編

初ライブはワンマンライブ編

今から遡ること20年前の1995年。まわりはビジュアル系(Xとか布袋や黒夢とか)が主流のなか,我々はブルーハーツや忌野清志郎郎に感化され,それっぽいオリジナル曲作っては,ニヤニヤしながら低レベルの完成度にも気付かず満足していた。15歳の秋,,,,思春期な事もあり放送禁止用語満載の曲も作り,夜な夜な皆で連呼し絶叫するバカの極みの中にいた。当時から3人が其々の世界観を歌詞や曲にして持ちよっていたが毎日の様に曲が思い浮かぶため,TCB結成して間もなく大学ノート1冊分くらいの曲が出来上がっていった。そうなると,ライブをしたくなるのは当然の発想。

しかしライブってどこでやるの?

皆無知。しかし衝動は強くなるばかり。じゃあ会場を二戸文化会館中ホールでどうよ!あっ,チケット作んないとね!なんて分からないなりの想像は情報と履き違えられ,積極的無駄な動きをまんまと実現していた。高校生になりたての我ら,何も考えず,何も省みず,何にも縛られず,自由に迸る情熱を軸に楽しんでいるだけであったが,それは周りには異様に映っていたようだった(特に大人や同級生たちに)。蛇足な話だが今でも使われているTCB看板は,当時美術部であったおぼ(バスケ部も兼部)の油絵キャンバスはTCBライブの看板として使われ,先生に激怒られたのを記憶している。お金はみんな無くてお年玉の残り等で工面して自作ワンマンライブに青春を傾けていた。

そして記念すべきデビューは1995,7,13のワンマンライブ。

ドラムは一輪車で二戸大橋を渡って搬入。自作TCB看板も肩に担いで存在アピールをしながら悠々と!客観的に見るとそりゃあ目立っていたみたい。チケットは沢倉印刷に頼んで作り当日券300円100枚を用意して臨んだ。何人来るのかも皆無知(2回目)。本番までの間に沢山の人が声を掛けてくれた。地域の音楽家や先輩バンドがこぞってやってきては俺らもやらせてくれないかとか交渉してくるが“僕たちの初ライブなんで無理っす”って突っ返していた。正直強面ロックの兄ちゃんが次々現れて超怖かった(本当はすごい優しい)。とにかく二戸では高校生がライブなんて開催しないだろう時の中で、独断の企画に踏み切ったティーンエイジ若干3名。今考えてもかなりの爆発力(バカ発力)を感じる。 

ライブの方は確か12曲くらいオリジナル曲演奏して,アンコール曲2曲。アンコール曲中おぼが鼻血出していた。心配したお客さんがそっとティッシュをくれるというハプニングもあって,ティッシュ鼻に詰めて歌っていたため鼻声…(芹名?)。そしてギターのストラップが外れたためにギターを投げて,結果壊れる(シド?)。分からないが3人のアイデンティティを見せつけることができたライブだったと思う。動員数76人/TCBワンマン。それぐらい興味をひくようなインパクトがあったのであろう…。携帯電話なんか普及してない、PHSもまだ登場しない、ポケベルが来年はやりだしそう,,,,ルーズソックスは全盛期,,,,,そんな時代の話。僕らは大人に対して分かってくれないコノヤロー精神と反発力により自由奔放に生きていた。

しかし今でも変わらない事ってあるよね。そう皆意外と真面目だ(女も?仕事も?お金も?)。まっ,このライブを期にTCBは次々と活動を増やしていく事となる!次回もよろしくロック!