チェリペディアNo3.  漆黒の小学生編

 

 
 
 
袖短パンに夏でも冬でも裸足スタイル…それがかんの小年期。炎天下のなか真っ黒に焼けている彼は、真っ黒なTシャツを着ては、いつも叫びながらみんなの先頭に立って二戸中を走り回っていた記憶しかない。放課後はいつも校庭の裏崖を冒険し暴れまわっていた(石切所小学校の裏庭は以前クロスカントリー略してクロカンといって危険なため遊ぶのは禁止だった。昔は20m級のポプラの木が3本たって、その他にも緑で生い茂っていたが、5年生の時の台風19号で全て倒されてしまった。鶏小屋が飛んでいくくらいの大きな台風。電話線が切れていたので学校休みの連絡がないと、皆勤賞の彼は、そのクロカンを上り登校し、先生に怒られていた。遊びは当時流行っていたBB弾で戦争ごっこや、よくカブトムシやクワガタをとっていた。泥団子を大量に作り、投げ合ったりもしていた)。 そこで活躍するのが彼がいつも身につけていたウエストポーチであった。やはりそれも黒であった。何やかんや取り出し、必要なものがすべてそろっていた。印象に残っているのが十徳ナイフだ。小学生の彼がなぜ持っていたのかは不明だったが、子供心ながら無敵に感じた。遊んだ最後には泥だらけでさらに真っ黒になるのだった。現在のクロカンはすべて整備され、遊べる雰囲気ではない。         
冬になればスキーをしていた(昔は景気も良くスキーブームで、今の5倍くらいプレーヤーがいた)。彼の身につけているアイテムは全てブランド(主にSalomon)ばかり。今の大人でも、上級者が身につけてサマになるブランドだ。しかし、彼はかっこばかりではなく当時、大人顔負けの滑りをしていた。雪焼けで冬でも真っ黒であった。スポーツマンの彼は、その他にも水泳、剣道、野球をハイレベルにこなしていた。現在の狂人の肉体は様々の試練を乗り越えて造られたのだろう。
私と遊んでいたそんなある日、そんな彼が、ある地下室(現T.C.Bスタジオ)でゴルフクラブを握りフルスイング振⇒ボールに当たる⇒クラブを振り抜く⇒後ろに居た私のこめかみにぶち当たる⇒たまったものではない!!
今現在、私が狂ってるのはそれが原因で後遺症であることは言うまでもない。(きよし筆)