チェリペディアNo.6 中3チャリ旅 前- 後編

前編:この旅は一生忘れないだろう。我々のrootsの1つである、ある夏の終わりの物語。

中学3年生の夏といえば、中総体も終わり受験シーズンに入っている時期である。燃え尽き症候群になる者。勉学に励み始める者。色付き始める者。思春期に多種多様であろう現象を迎えるこの時期、我々はというと、、、、、、、旅に出ちゃった!ママチャリで!!やりきったであろう部活や今から始める受験への葛藤、後悔や後ろ髪引かれる思いなどを振り切り3人で二戸を飛び出した!ママチャリで!!

経路はというと二戸から国道4号線(ROUTE4!)を南下し、網張キャンプ場へ1泊し、県道を北上し七時雨山で風呂に入り帰還という計画であった。5000円をポケットに、地図を片手に、3000円の激安テント(かんぶんセンターで購入)を担ぎ、コメと飯盒を持って!もちろん学校の先生には内緒。親には軽く「行ってくるよ!」ぐらいで了解を得た。今考えると3人の親ともよく簡単にOK出したなぁー。

当日、朝、寒くもなく、かといって熱くもない、空は雲一つない青空と通り過ぎる傍らには怏々と萌える緑。馬淵川に乗った涼しい風を抜けながら、馬仙大橋を渡ったのを今でも覚えている。学区外へ突破した瞬間の開放感とテンションは忘れられない。頭の中でギンギンとなっていたのはTheBlueHarts!余計にハンドルとべダルに力が入り立ちこぎ全力で走り出した!!

立ちこぎで走り出したのはいいのだが、その後、奥中山峠を越える。(奥中山が4号線で1番標高が高い!)その疲れや股ずれがおこり大変でみんな無口だった。さらに南下し夕方、渋民にかかったところろで立ちション中に茂みの中からお経が聞こえてくるという怪現象に出くわしたり、滝沢別れで道間違えて数キロ戻るという精神的クリティカルヒットを受けたりと、少々ハプニングを乗り越えながらも割と無難に?岩手山の麓にたどり着いた。周りはもう薄暗い。しかも南部片富士の麓の急勾配、なかなか目的地へたどり着けない。今どこにいるかもわからない。たまたま通りがかりのおばちゃんに聞いたのだが、まだまだ先と言う。心が半分折れながらも少し進むと、さっきのおばちゃんと旦那さんが心配して車で追っかけてきてくれて、ライトで照らしながら誘導してくれたのだ。有り難かったなぁ。心配するのは当たり前だよね。真っ暗の森の中、坊主の子供3人(当時、福岡中学校は強制坊主だった!)がママチャリの乗って、今にも消えそうな車輪稼働式ランプ(昔はLEDのライトなんて無い)のみでヘコヘコ死にそうになって走っているのだから。。。。結局夜中に網張手前の相ノ沢キャンプ場でダウンした。その日は花火して、飯作って爆睡であった。帰りは県道を帰るのだが、、、、、、、、、、、、、、、最大のハプニングは帰り道にあった!!!

続きは!!!命をかけた大爆笑青春活劇!!!!おぼが!!!!!!!!!!!!!!

後編お楽しみに!!!!!!

後編 おぼが!!!!!!!

我々は相の沢キャンプ場に一泊。夕食は確かカレーだった。いくら疲れてても、こういう日の朝は早起きなもので5時くらいに目が覚めてしまう。辺りは霧がかり、朝露に濡れた道路と木々を肴に深呼吸をする。次第に霧が晴れ、岩手山とピーカン太陽が顔お出した!よし!残りのカレー食って出発だ!しかし疲れをスパイスに食べた昨日の美味いカレーとは違い、やや焦げた味がし食はあまり進まなかったなぁ。

早速、昨日上った岩手山麓を、昨日とは打って変わってサクサクと下る。県道に出て北上。七時雨山を目指す。我々は散々の上り坂を経験し、特技が身についていた。それは、蛇行THE上り坂!知らぬ間にLevelが上がっていた!実際に直線立ちこぎは長くは続かない、降りたり乗ったりするのも時間がかかるし疲れる。なので道幅をいっぱい使い蛇行しながら登るのだ。なぜか!!?それはママチャリだから!!切り替えが3段階しかないからこそ出来上がった苦肉の技、サイクリング自転車では禍々しくてできない技。時々、誰かが嫌気がさして、立ち漕ぎで気が狂ったように20mくらい直進するのだが、たいてい焼け石に水ということに気づき、すぐ静かになる。それを繰り返し繰り返し高原に到着した。しかし最大のハプニングはその下り坂にあった。

今日も夏らしい夏、時間は昼くらいだったか。昨日と同様の青空を背に青春真っ盛りの15歳の少年たち。一気に漕ぎ下る。雄叫びの様に歌いながら!歌はTheBlueHartsのリンダリンダ!受験を迎える反逆児たちにはぴったりの歌。片手を頭上に突き上げ、ブレーキもそこそこに、めいいっぱいのスピードで下る。先頭はかん、真ん中はおぼ、最後尾はみつひろ。緩いカーブをいくつかコーナリングし、急カーブをコーナリングした次の瞬間!!!事件は起こった!!

当時のみつひろ曰く「いやー、かんがすげースピードで下るんだよね。これでもかってくらいに!二人でついて行ったんだけど、俺が急カーブ曲がったらさー、視界から消えたんだよ!おぼが!!いないんだよ!!!おぼが!!!!」

そう、ご想像通り、クラッシュしたのだ!フロントフォークと前輪がひん曲がった自転車が落ちていて、序でのように数メートル手前の道路脇に人が倒れていた。それを見て「おぼ 死んだかも(初回)」と思ったのを覚えている。2人で近寄ると声がする「どけてぇ、どけてぇ」。我々がみる限り、どけるものなどない。あるとすればガードレールくらい。2人で爆笑した!引きずり出すとTシャツは血だらけ、腰骨に大きな傷を負い、擦過傷の嵐たっだ。向こうはちょっとした崖。ほんと危なかった。その時撮った「マー」ポーズを提示する。今後3年間使うポーズの始まりだった。おぼは通りがかりのトラックに安代の自転車屋まで乗っけて行ってもらい、2人はゆっくり下山した。明るいうちに二戸に到着。明日は学校のため早々に解散した。

次の日学校へ行くと、速攻呼び出しを食らった。バレていたのだ!しこたま説教されるなか、学年主任の欠端先生と今は亡き生活指導の下斗米先生の言葉が僕らの頭から離れない。欠端T「しかしお前ら凄いな!よくやったな!中学生だけで考えてなかなか出来ることじゃないよなぁ!うん!」、下斗米T「こんなの初めてだ!だけどな、みんな真似したら困るんだなぁ」今でも忘れられない、僕らの劣等感まみれだった頭の中からidentityを浮き彫りにした言葉。木村校長も何も言わず、少し笑っている風であった。色々と寛大な時代のお話。受験の内申書に響くんじゃないかと少々ビクビクしていたなぁ。でも今考えるに、我々が審査する高校教師であったら「こいつら!買いだな!」と思う!怒られたあの応接室も校舎も近々なくなってしまうと思うと寂しいなぁ。

このチャリ旅、実は高校3年まで毎年行われることとなる。毎回あの4号線・奥中山峠を越える。そして「おぼ 死んだかも(2回目)」と思うのはこの冬の話。再びマーポーズが使われるのは次の夏のお話。お楽しみに!ROUTE4(次回LIVE 2/16@二戸)にまつわる話でした!