チェリペディアNo.11 盛岡能開セ○ター編

チェリペディアNo.11

盛岡能開セ○ター編

1995年…石切所小学校からなんとか3人揃って福岡中学校へ進学しなんやかんやで中学3年生になっていた。土日祝日関係無く部活や恋愛に没頭する日々を送っていた…が、1年、2年と見ないフリをしていた受験の文字がちらつき始め、みつとおぼは戦々恐々としていた。当時は中間テスト・期末テストの全教科合計点上位100名が廊下に貼り出されていたのだが、名前が載っていたりいなかったりのポジションであったのだ。かんはというと、常に学年トップ争いを繰り広げ(5位以内に名前が無いと声を掛け難い空気を醸し出していた)、文武両道を地でいく男であった。そんなある日、漠然と不安を感じていた2人の気持ちを知ってか知らずか、かんから思いも掛けない言葉が発せられたのである。

「一緒に盛岡の塾行かね?」

2人にとって晴天の霹靂であり、寝耳に水であり、渡りに舟であり……ではなく盛岡に行きたいだけであった。

「盛岡の塾」その響きは二戸生まれ二戸育ちの2人にとって、トウキョー、ロンドン、ニューヨークに匹敵する憧れと可能性を持つ響きであった。二つ返事で了承し、各自親を説得し、正当な理由でニューヨークに、ではなく盛岡に行く術を得たのである。

実は盛岡行きの電車の移動時間の暇つぶしに始まったのが、3DL(the cherry boysの前身となるhiphopグループ)なのである。